教員らしくない教員のブログ

どれだけ知名度があるかわからない特別支援学校という学校で働く教員として「自虐」「誇り」「ガジェット」中心のブログ。

はじめましての自己紹介。

プロフィールに書いてあることを少しだけ細かく書いていく。

 

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1出身と幼少期

 高校生まで愛知県の方言強い側の地域で過ごす。側溝のことを「どぶんち」と呼ぶほどの癖がある。自分で言うのもなんだが、人見知りせず今でいうところの「陽キャ」だった。学業は引くほどできなかった。漢字の小テストは何の躊躇もなく0点をとる。担任を「お母さん」と呼ぶことでどうにかかわいがられながら卒業した。中・高は部活と遊びしかせずに過ごし、受験の時にこの世の終わりだ、と思うほど後悔したがそれを「高校受験」「大学受験」「教員採用試験」のたびに繰り返した。要は短絡的である。

 

 

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2関西圏進出

大学は三重県だったが、なぜかまわりは関西弁。(関西弁色の強い三重弁だった)常に怒られているような強い圧力に負けて、一気に静かになり大学入学時は受験時に続きまたもや後悔した。しかし、しだいに関西弁は話しやすい事に気づき、もともとお喋りだった私にマッチ。中・高時代と同じように遊びに勤しむ。部活のかわりに「家電」に興味を持ちまくる。部屋にリアル5,1chを設置。映画とゲームを大迫力で聞くことに喜びを覚える。テレビも大きなプラズマテレビを購入しインドア生活を満喫する。(数年後プラズマテレビは電気代が半端ないことに気づかされる)

 

 

3働くことの恐怖

新卒で大阪の一部上場広告代理店に入社。奇跡的な入社。ふつうは落ちる。舞い上がっていたが、会社に勤めることはこんなにもしんどいものなのか、家に寝るために帰ってくるだけ。かなりすさんだ会社員生活。唯一救いだったのが同期に恵まれたこと。それ以外は失敗したと思っている。

 

 

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4教育の楽しさ

なんやかんやあって広告代理店を退職。元々教員になりたかったため教員になろうと決意。しかし、教員のなり方なんてわからなかったためとりあえず手当たり次第に中学校の校長あてに電話しまくる。(今では考えられないが校長に電話が何度も繋がった)本来のルートではないため、断られまくる。正規のルートを教えてもらい無事講師として就職が決まる。

生徒はかわいい。普通に腹も立つが、なぜかかわいい。犯罪的な意味ではない。今まで何となく楽しくあるために人と関わってきたが、先輩教員の教育方法をみて人との関わり方にはいろいろな方法があることを学ぶ。

 

 

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5子どもはかわいい

我が子はかわいい。昔の人は「目に入れてもいたくない」とか言っていたがうまいこと言ったもんだと感心させられてしまうほど、そのとおりと思う。かわいすぎてTPOを考えず「かわいいなー」と独り言を言っている。仕事上子どもの教育にも力が入るが、激あま。しつけなんてできたもんじゃない。世の母親はすばらしい。しっかりしつけしているのだから。世の父親はどう?しつけしている?私はいつになったらしつけれるのか不明だ。

 

最後にここまで読んでくれてありがとう。初めてブログというものを書くので勝手がわからない。そして、キャッチーな画像もない。みんなはどこで画像を手に入れているんだ?わざわざ写真撮っているのか?それとも無断転載しているのか?

どちらにせよ文章を書くのは疲れる。だが書きたいことはたくさんある。教育もガジェットも。素敵画像も貼り付けたい。ということは考えている。応援していただけるととてもありがたいです。

そのうちツイッターも始めます。